武人・文人シリーズ

近代文学、花柳界、自由律俳句、明治維新、剣術など分野は異なりますが、皆、一時代を築き、一世を風靡した"元気いっぱい"の熊本ゆかりの人々。肥後を駆け抜けた武人・文人をご紹介します。(イラスト:古場田 博)

坂道を登りながら
かう考へた…
夏目漱石

明治29(1896)年、漱石は池田駅(現JR上熊本駅)に降り立ち、英国留学までの約4年間を、五高の英語科の嘱託教員、教授として過ごしました。

おてもや~ん。あんたこの頃、
嫁入りしたではないかいな
おてもやん

熊本花柳界の女性が作詞・作曲したと言われる民謡の主人公「おても」。明るく元気なおてもやんは時代を越えて愛されています。

自由律俳句の漂泊の俳人
「分け入つても分け入つても青い山」
種田山頭火

大正5年、熊本に移り住み、古書店を営んでいた山頭火。世間から脱し、自由を愛し、酒を愛し、行脚の度を続けながら詠んだ俳句は、独特の雄大な雰囲気をかもしだしています。泥酔して熊本市電を止めたというエピソードも。

大義を四海に布かんのみ
坂本龍馬と横井小楠

薩長同盟や大政奉還の立役者となった坂本龍馬と、革新的な思想を唱え、幕末の志士に大きな影響を与えた横井小楠。竜馬は勝海舟の使いで、熊本にいる小楠のもとへ幾度も足を運び、新しい日本について語り合いました。

常に兵法の道をはなれず
宮本武蔵と細川忠利

二天一流(通称二刀流)の開祖・宮本武蔵と、肥後藩主であり、柳生新陰流や二階堂流平法を習得した剣の達人でもあった細川忠利。武蔵は格別の待遇で招聘され、兵法のほか、連歌・書画・茶道から政治にまで意見を求められました。